夏の終わりにメールが届いた。
「八月三十一日二十六時 湘南新都市サン・エアー広場カフェ・モカ前に来たまえ 君の友人のドン・カニングハムから切符を受け取れ(イート)」
ドンがまた日本に来たんだ。また、富士山音楽祭に参加するんだな。ドンに会いに行こう。
八月三十一日、二十六時。海からの風が暑さの夏を追い出そうとしていた。駅前の空中広場にドンがいる。若々しいドンがクラリネットを吹いている。逸る心を抑えてカフェ・モカヘ向かった。
カフエ・モカの入口から、クラリネットの音が幻のように響いている。
「この曲が何かわかるか?」
ドンは、ひとこと呟くと、短いフレーズを風に乗せた。
「<青い月>だろ?」
ドンは、口からクラリネットを離すと、根っからの陽気な性格を嗄れた大声に乗せた。
「そうだ友達!」
「次は<マントの菫>だ。」
ドンは、<マントの菫>のテーマをくり返した。
「何か、リクエストはあるか?」
「<巨人の足音>だ。」
「<巨人が歩くか?友達!」>
「そうだ。」
ドンが曲を吹くと、手の平で一枚の切符がステンド・グラスのように形成されていく。
「五十年を切符にするのは大変だ。どんどんリクエス卜してくれ。」
次から次へと、私はリクエストした。
<さようなら黒い鳥>、<星くず>、<ひばり>、<私のロマンス>、<夜中あたり>・・・
ドンが五十曲の演奏を終えると、ステンド・グラスの切符を手にした、十二歳の少年の姿が、無声映画の主人公のように、突然、駅前の空中広場に現れた。
「それをゴッシュに見せろ。ゴッシュは知っているだろう。そうだ。あのチビだ。あいつは大きくなって、シスコのケーブル・カーを運転していた。そうだ。運転手だ。あいつにとっては、夢機関車の運転なんか簡単すぎる。そうだろ。だって、ケーブル・カーは、海と、空と、大地を行き来しているんだぜ。まあいい。とにかく、ゴッシュにその切符を見せるんだ。客車は、操車場の先だ。テリーと二人で運転している。夢機関車はテリーが運転する。ゴッシユは車掌だ。ただし、天体観測所行きのケーブル・カーはゴッシュが運転する。ケ一ブル・カーの運転で、ゴッシュの右に出る者はいないからな。」
そう言うと、ドンは右手のクラリネツトを持ち上げ、また演奏を始めた。駅へ向かうアキラの後ろで、<青い月>のメロディーが闇の中へ消えていった。
客車の前にゴッシュが立っている。アキラはゴッシユに切符を見せた。
「これが君の切符か。すばらしいぜ。曲が有機的に繋がっている。これはJAZZの切符だな。これなら丘の上まで行けるぜ。」
アキラが声帯を振動させ、声を出そうとすると、ゴッシユが先に言葉を発した。
「ああ、この機関車のことを聞きたいのか?」
車掌のゴッシュは、アキラを先頭の機関車まで案内してくれた。
「燃科電池は知っているだろ。水素と酸素を反応させて水ができるやつだ。二十一世紀に流行ったエネルギー源だ。夢電池は燃料電池と同じ原理だ。ただし、最新式だ。夢と現実を反応させるんだ。そうすると、時間エネルギーが得られる。あの煙突からは、幻が蒸気となって出ていくんだ。
ゴッシュは説明をしながら、アキラの後方を気にしていたが、説明を終えると、アキラの後ろへ回って誰かに話しかけた。
「なんだ。お前も乗るのか?」
九歳の少女が手を伸ばして、自慢げに切符を見せた。
「すごいぜ。ガラスのようだ。すごいぜ、これは。クウォーツでできている。水晶かもしれないぜこれは。ポリマーじゃないぜ。オーケストラだ。オペラだ、これは。どこで作ったんだ。これならフェリーにも乗れるぜ。指定席だ。Cの2番に座れ。」
少女は、アキラの隣に座った。
八月三十一日、二十七時。
「さあ、出発だ!」
機関士のテリーが警笛を鳴らした。機関車は新都市駅を出発して、空中を駆け抜けた。いったん海へ向かうと、砂丘めがけて、線路は緩やかに曲っていった。曲線標は、半径<八00>、カント<五0>、スラック<七>を示していた。
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