八時三十分に電飾<イルミネーション>のように光り輝く炎の鉄橋を通過した列車は、緩いカーブを描きながら、なだらかな坂道を登っていく。江西地方を横切って、弛緩した大気を再び引き締めながら、森の領域へ差し掛ると、緑に囲まれた山の麓に湘南ヶ丘の駅がある。勾配標は千分の三十五を表わしている。
「湘南ヶ丘に到着だ。ここで、ケーブル・カーに乗り換える。」
ゴッシュの声が、透明な大気に広がった。沈黙がもたらす鬱塞を吹き飛ばすかのように。
プラットホームで、野良猫のグレコが出迎えた。グレコは白と黒のブチで、尻尾が短い。
「お待ちしていました。ビーチ・グラスは、お持ちですね。」
アイカは、アキラから小さなバケツを受け取リ、両手で猫の前に置いた。
「すばらしいグラスです。これなら美しいオカリナ笛が作れますよ。私がエリザベス様にこのグラスを渡しておきますから、天体観測所に行って、星の花粉をコップ一杯集めて来て下さい。この瓶に入れるといいですよ。この瓶は宇宙ですから、何でも入りますよ。」
そう言って、グレコは大きなジャムの瓶をひとつアイカに渡すと、森に向って歩き始めた。二、三歩、足を進めたグレコは振リ返って、ひとこと付け加えた。
「そうそう、山へ行ったら必ず鹿の声を聞いて来るんですよ。声が無ければ音は出ないから・・・」
「このケーブル・カーはシスコの博物館から持って来たんだ。あの館長ときたら、こんな中途半端な車両は展示でさないって言うんだぜ。レトロでも最新型でもないけれど、俺が運転していた思い出の車両なのに・・・だから、日本に持って来たんだ。クールだろ。もちろん、俺が運転する。テリーは夢機関専門の機関士なんだ。ケーブル・カーは夢機関とは違うんだ。天体観測所に居るストーンズ博士が開発したんだ。量子力学を応用して発生させたエネルギーを使って、慣性航法により移動する。簡単に言えば、<光のケーブル>からの力を、ギアの切リ替えによって、コン卜ロールするんだ。ケーブル・カーに乗る時は、俺の出番と言う訳だ。」
ゴッシュは、ギア・ボックスの大きなレバーを握りながら、自慢話をしている。アイカは窓側に、アキラはイー卜の隣に座った。
「イー卜さん。僕、病気なんです。赤い涙が出るんです。森の領域は、しんどいです。星を見ていると、赤い涙が出てくるんです。」
アキラが話しかけると、イートは、アキラの顔を覗き込んで、柔らかな感情を音声に乗せた。
「そうか。星の花粉症か?このあたりは星の花粉が舞っているからな。アキラは、心に悲しみがあるから涙が出るんだよ。アイカは、大丈夫か?」
「うん。」
アイカが元気に答えた。
「ところで、グレコさんが言っていた<エリザベスさん>って誰ですか?」
アキラは、目を擦りながら尋ねた。
「森の中に、猫の楽器工場がある。大陸から来た人々の遺跡に猫が住み着いて、楽器を作っている。エリザベスは工場長だ。オカリナ笛を作らせたら、エリザベスの右に出る者はいない・・・」
ゴッシュの大声に、イートの声が掻き消された。
「ギアの操作が難しいんだぞ。加速度を測定して、二回積分するんだ。やっぱり手作りだよな。自動運転なんてクソクラエ<ゴダミッ卜>だ。職人技を残しておくのが博士の趣味なんだよな。さあ、そろそろ出発だ。」
ゴッシュが、大きなレバーを引いてギアを繋ぐと、客室全体がガクンと揺れて、ケーブル・カーは静かに動き出した。
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