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琥珀色の午後        2005.9.15.

 気まぐれな午後の風が吹く夏の午後、私は現れる。カバーをはずした文庫本を右手にもって、アイス・カフェラテを注文する。それが私のスタイル。「早番のシフト」って結構いいのよね。本屋で文庫本を買って、コーヒーショップでカフェラテを飲みながら時間をつぶす。本に飽きたら買い物をして夕飯の支度をすればいいもの。

 夏だというのに、ジーンズやパンツをはいた女の子ばかりが目に付く。スカートをはいているだけで女性を感じるのに、あなたはいつもドレスを着ている。

 街を歩くときぐらい、おしゃれをしたいものよ。いつも白衣ばかり着ていて、まるで幼稚園児ね。「白衣の天使」なんて今時「死語の世界」よ。もっとも、ワンピースも幼稚園児を連想させるかもね。最近おもしろい本がないわね。「失楽園」に「セカチュー」もっと濃厚で刺激的な小説はないのかしら。そういえば、「真珠婦人」とかいうメロドラマがあったわね。そうだ、本屋の「あのこ」に尋ねてみようかしら。

 僕の頭の中にはデータベースが構築されている。彼女がやってきた日付、曜日、時間。彼女が買った本のタイトル、主人公、あらすじ、結末。ただし、本の分類は必要ない。彼女が買う本はすべて恋愛恋愛小説だから。「テス」「ラ・マン」「ハーレクイン・ロマンス」「失楽園」「世界の中心で、愛をさけぶ」・・・

 「あのこ」が本の整理をしている。青いエプロンに、青いジーンズ。今どき、こんなに青いジーンズも珍しいわね。リーバイスの505とか言うプレミアムかしら。そんなはずがないわね。バイトの学生がリーバイスをはくかしらね。ちょっと疑問だわ。

 あの人の気配がする。本の整理に集中できない。横目で姿を確認する。きょうは白っぽいドレスをきている。潮風の薫りがしそうだ。あの人は定期的にやってくる。僕のデータベースから規則性を検索する。日付、曜日は一定しないが、歯車の爪の一枚のように、全体の一部として何かの規則性を持っているようだ。店が一番空いているのが、平日の午後二時五十分。上半身を固定したまま左手の腕時計を顔の位置まで持ち上げる。文字盤の数字は2と5と0だ。

 耳を隠す、やや長めの髪。ほんの少しウエーブがかかっているのかしら。床屋であの髪型は無理よね。テレビに出ているジャニーズ系の髪型は床屋じゃ無理よね。あなたが「おしゃれ」だ、ということは認めてあげるわ。

 勇気を出して左を向くんだ。あの人を見るチャンスだ。僕のデータベースには、もっと情報が必要なんだ。髪型、ドレスの色、左手の指輪・・・。そんなことよりも、あの人の顔を見るんだ。あの人の画像を脳に保存するんだ。

 ちっとも動かないじゃない。固まっているのかしら。手だけが動いているわ。聞いてみようかな。「真珠婦人」のこと。

 あの人が近づいて来るよ。さあ、左を向きなよ。僕の中で、もう一人の僕がコマンドを入力している。しかし、システムは完全にハングアップしてしまって、まったく体が動かない。

 「あのー。真珠婦人ってあります?文庫本になってますか?」

 「は、はい」
 僕は、振り返りもせず、脳を再起動し、データベースにアクセスする。これから入力が予想される仮想のデータを含めても「真珠婦人」なんて聞いたことがない。普段なら店のパソコンで検索するのだが、あの人の前でそんな幼稚な事はしたくない。脳のデータベースを終了して、検索ソフトを起動する。僕の頭のどこかに手がかりがないか瞬時に調べる。

 「なんだ、このこ。何もしゃべりやしない。上を向いて何か考えてるわ。オタクっぽいわ。受け答えもできないのかしら」

 時間がないんだよ。早く答えを出さないと。「真珠・・・」何か引っかかったぞ。「受験勉強」キーワードは受験勉強だ。・・・文学史だ。文豪だ。修学旅行だ。近いぞ、早く検索しろ。僕は脳にコマンドを入力し続ける。青ノ洞門・・・恩讐の彼方に・・・菊池寛・・・。あった。あったぞ。

 わたしは、一歩近づいて、やや長めの髪からのぞく、うなじを見つめている。私の行為は明らかに相手に発話を促すプレッシャーを与えている。私は仕事を思い出してしまう。ベッドの患者に話をさせるには、まず近づくことが第一なのよ。それでも話ができないときには、手を握ってあげるのよ。

 通俗小説・・・「真珠婦人」だ。僕はゆっくりと振り返った。
「菊池寛の真珠婦人ですね。あるはずですよ。」
 僕の足はすでに、文庫本の棚に向かっている。

 わたしは、いつものように文庫本のカバーをはずし、コーヒーショップでカフェラテを飲みながら時間をつぶしている。琥珀色の気怠い光線が私の集中力を奪い去るころ、私は買い物に向かう。

 乾いた午後の風が、体温をわずかに下げてくれるころ、僕はバイトを終えて、アパートへ向かう。

 「ラケット買いに行く」
「やっぱりテニスにするの」
「うん、テニス。お父さんに教えてもらえるから」
「お父さんに買ってもらいなさいよ」
「うんお父さんにラケット買ってもらう」
 これ程仲のいい親子も少ないわね。私は明日、早番よ。でも残念ね。明日は休日だから「あのこ」に会えないわ。まっすぐ家に帰るしかないわね。男の子がいれば「あのこ」のようになるのかしら。いいや、いくら私の子でも、あんなにカッコ良くならないわ。父親もワガママだしね。これが現実なのよね。

 携帯にムービーの着信だ。
「これ見てー、新しい水着買ったから。明日、海で着るからね。楽しみにしててよ」
僕は、そう遠くない未来、ミキとセックスをするだろう。そして、彼女と結婚して、時の流れに乗る。時の流れに乗れないものはデータとして記録しよう。あの人のデータも全て、この本に閉じこめて。この「真珠婦人」に。

クョスコニョ    [1] 
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